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日本地図作成を支えた佐原。伊能忠敬を輩出した町の魅力を巡る
「日本地図を作った人」と言えば千葉県の誇る偉人、伊能忠敬ですが、彼が全国測量の旅に出たのは実は50歳を過ぎてからのこと。それまでは千葉県の佐原で醸造業を営む村の名主として活躍していました。彼の全国測量事業には多額の自費が投じられましたが、一村の名主にこれほどの偉業を成し遂げられた背景にはどのような事情があったのでしょうか。本コースではそんな偉人を輩出した町、佐原の町並みを巡り、当時の面影に触れてみましょう。
【ポイント】
★佐原は利根川の支流・小野川の河口部に開かれた小さな村でしたが、江戸時代に幕府の直轄地となりました。利根川東遷事業やそれに伴う新田開発のため、物資の集積場として注目され、さらに、銚子から江戸へと利根川水運の物資運搬ルートが確立すると、物流拠点また、商業の街として大きく発展し、当時は「江戸まさり」とも言われるほどの繁栄を見せました。
★国史跡に指定され、現存している伊能家は、佐原市街を二分する小野川(利根川の支流)沿いにありますが、このあたりは当時の佐原の中心地で、舟運による商業活動を担った商家が軒を連ね、店先には、小野川の船から荷を積み下ろしするための階段状の「だし」が造られました。現在、この一帯は伝統的建造物群保存地区に指定され、当時の繁栄を今に伝える古い町並みが残されています。
★伊能忠敬は、1745年、現在の九十九里町小関に生まれ、1762年、佐原の地主で、米穀商・醸造業を営む伊能家の婿養子になりました。伊能家は忠敬の努力と倹約により繁盛し、忠敬自身も村の名主として大いに活躍しました。
★忠敬は50歳で家業を長男に継ぎ隠居した後、江戸に出て高橋至時の門下に入り天文・暦法を学び、55歳から71歳まで全国測量の旅に出ます。忠敬自身は73歳でこの世を去りますが、その後彼の門人たちの手によって、日本初の測量に基づいた日本全図が完成します。歴史に残るこの大偉業を成し遂げることができたのは、伊能忠敬の才覚もさることながら、佐原という富裕な村で 財をなせたことも要因になったのではないでしょうか。
★佐原の町並みを歩いたり、小野川をめぐる観光船にゆったりと乗船しながら、かつて「江戸まさり」と言われるほど栄えた町の面影を感じて見てください。
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佐原町並み交流館
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さわら町屋館(上川岸小公園)
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道の駅 水の郷さわら
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伊能忠敬旧宅
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伊能忠敬記念館

佐原町並み交流館
「佐原の町並み」のミニチュアや三菱館(旧三菱銀行)の鑑賞が可能です。事前予約にて、施設や近隣を巡るガイドツアーを利用できます。
※施設全体が対象となるよう、広範囲にGPSを設定しております。
有料施設の場合には入口手前からポイントを取得できます。


さわら町屋館(上川岸小公園)
愛称が「さわら町屋館」の観光休憩所です。伝統的な佐原町屋の意匠で建築され、歴史的景観を保全するとともに、憩いの場として開放されています。
※施設全体が対象となるよう、広範囲にGPSを設定しております。
有料施設の場合には入口手前からポイントを取得できます。


道の駅 水の郷さわら
利根川下流部における防災拠点、利根川の自然環境を活かしたカヌー等の水辺の利用拠点、舟運と道路との利便性を活かした交通の交流拠点となっている道の駅です。
※施設全体が対象となるよう、広範囲にGPSを設定しております。
有料施設の場合には入口手前からポイントを取得できます。


伊能忠敬旧宅
伊能忠敬(1745-1818)が17歳から50歳まで30年余りを過ごした家で、国の史跡に指定されています。
※施設全体が対象となるよう、広範囲にGPSを設定しております。
有料施設の場合には入口手前からポイントを取得できます。


伊能忠敬記念館
江戸時代に徒歩で全国を測量し、日本地図を完成させた伊能忠敬の業績を称える記念館です。国宝に指定された測量資料などを展示しています。
※施設全体が対象となるよう、広範囲にGPSを設定しております。
有料施設の場合には入口手前からポイントを取得できます。

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