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ちょっと鷹狩してくるわ!将軍の道「御成街道」37㎞の歴史探訪
上総の東金鷹場は、10万石(110.682平方キロメートル)に及ぶ広大な規模で、徳川家康が関東入府後初めて設定した鷹場と言われています。江戸から決して近くない東金が鷹場に選ばれたのはなぜなのでしょうか。また、約37キロある江戸とこの鷹場を結ぶ御成街道は非常に短期間で完成したと言われています。本コースでは、往時を忍びながらそんな将軍の道の成り立ちを学びます。
【ポイント】
★東金が鷹場として選ばれたのは、近隣の九十九里浜平野に渡り鳥が飛来する沼が多く、鷹狩りの適地だったことに加えて、江戸からの交通の利便が良いとされたからだと言われています。
★鷹場には、訪れた家康一行が鷹狩の拠点とし、休息のために使った東金御殿(現、県立東金高校)が建てられました。御殿は部屋数が40余りもある豪華で壮大な施設であったといわれています。
★この東金鷹場へ一直線に続く道が今の御成街道です。家康の命を受けた老中佐倉藩主土井利勝は、船橋を起点とし東金までの約37キロの街道を、沿道の100余りの村の農民を総動員し、三日三晩で造成したと言われています。
★街道の起点には船橋御殿が建設され、東金と船橋のちょうど中間にあたる中田村(現千葉市若葉区御殿町)にも、家康が鷹狩りに向かう際休息に使ったとされる御茶屋御殿が建てられました。
★御成街道の一里塚の一つである提灯塚も見どころで、街道造成の際に、昼は白旗、夜は提灯を揚げて塚を目印とし、直線道路を造ったとされています。
★東金御殿建設の際に大きく開削され今の姿となったと言われる八鶴湖や家康が東金御殿に宿泊したとき、境内に自ら植えたとされる金柑の木がある本漸寺、家康が巡狩の際代官・高室金兵衛に命じて社殿を再興した日吉神社など、当時の将軍家の隆盛を忍ばせるスポットを訪れ、その優雅で豪華絢爛な遊行に思いを巡らせてみましょう。
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船橋大神宮(意富比神社)
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船橋御殿跡(東照宮)
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提灯塚(御成公園内)
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千葉御茶屋御殿跡
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八鶴亭(八鶴湖)
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最福寺
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日吉神社

船橋大神宮(意富比神社)
祭神は、天照皇大神を祀っています。広大な敷地の境内には、本殿、幣殿、拝殿、社務所が建ち並び、境内神社として豊受姫神社他29社が祀られています。
※境内でポイントが取得できます。


船橋御殿跡(東照宮)
船橋御殿は東金周辺に鷹狩りに出掛ける徳川家康のために造られたもので、慶長19年(1614)前後に造営されたと考えられています。船橋御殿のあった場所には現在、東照宮が建っています。
※境内でポイントが取得できます。


提灯塚(御成公園内)
御成街道の一里塚のひとつです。街道造成の際に、昼は白旗、夜は提灯を揚げて塚を目印とし、直線道路を作ったとされています。
※公園の敷地内でポイントが取得できます。


千葉御茶屋御殿跡
徳川将軍家が鷹狩りに向かう際の休息所として利用したと伝わる史跡です。船橋から狩場である東金地方へ向かう御成街道のほぼ中間に位置しています。土塁と薬研堀が良好な状態で残されています。
※千葉御茶屋御殿跡の敷地内でポイントが取得できます。


八鶴亭(八鶴湖)
八鶴湖畔に佇む、築100余年の国登録有形文化財。現在本館ではフレンチレストラン「レイクサイドレストラン八鶴亭」が営業中です。
※施設全体が対象となるよう、広範囲にGPSを設定しております。
有料施設の場合には入口手前からポイントを取得できます。


最福寺
大同2年(807年)に伝教大師最澄により背後の鴇ヶ嶺山頂の山王神社(日吉神社)とともに天台宗の寺院として創設。境内には徳川家康の銅像、切られ与三郎の墓、季節ごとの句碑、開運の大黒様等々、ゆっくり散策できます。
※境内でポイントが取得できます。


日吉神社
日吉神社は大同二年(807年)より鎮座し東金をお守りする神社です。二の鳥居から本殿までの約 200mの表参道には39本もの大杉が立ち並んでいます。
※境内でポイントが取得できます。

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